カラテトランスフォーマーPROFILE

 東京ベイ港支部第1号会員。まるで永久不滅ポイントのように燦然と輝く肩書きを持つのは、佐藤潤(さとう・じゅん)さん。58才。Vol.12で紹介した盟友・切明畑孝門さんと同じ大手広告代理店の株式会社電通に勤務し、新極真会の全日本大会などでは大会特別相談役として名を連ねる重鎮の一人でもある。

 幼少時に剣道を習い、高校を卒業するまではサッカー部(ポジションはフォワード)に所属、会社では山岳部とスポーツ好きではあったが、それまで空手とは縁がなかった。だが大学を卒業後に入社した電通でスポーツ局へ配属されてからは、ビジネスで空手と絡むようになっていった。

 「極真の大会は97年の第1回カラテワールドカップから観戦していましたが、本格的に運営面で協力をさせていただくようになったのは99年からです。2003年に名称を新極真会に刷新した時の発表記者会見では、運営や広報などで協力をさせていただきました」

 裏方として新極真会を支えてきた佐藤さんが、空手を始めるようになったのは2010年。仕事が趣味へ変わる瞬間は、意外なタイミングでやってきた。

「これまで何度も新極真会の大会にご招待をいただき、緑代表を始め、みなさんとお付き合いをさせていただく中で、『空手をやりませんか?』と熱心にお誘いを受けたことがありました。ですが切明畑君は『仕事上、道場生になるのはちょっと』と話していましたし、やんわりとお断りをしていたんです。でも、中国で仕事をしてから心の変化がありました」

 佐藤さんは、2008年に開催された北京オリンピックの準備のため、前年の2007年に中国へ単身赴任した。家族と離れ、慣れない土地での仕事と生活。さぞやストレスは大きかったことだろう。だが、現地で新極真会を普及している奥村啓治師範を緑代表に紹介されて訪問すると、その独特の指導法に驚かされることとなる。目の前には、国境を超えて楽しそうに空手をする不思議で温かい空間が出来上がっていた。

「北京道場を見学させていただきましたが、中国人だけではなくウクライナ人、ロシア人、フランス人など国際色豊かな人たちが楽しそうに稽古をしているんです。その中で奥村師範は、片言の英語とボディランゲージだけで会話を成立していました。ああ、新極真空手は、国境や言葉を超えることができる武道なんだと感動しましたね」

 北京オリンピックが終了し、2009年に帰国。中国を発つ時には送別会、日本に就いてからは歓迎会に出席し、楽しいひと時を経験することとなった。喜びもつかの間、その後の健康診断では、生活習慣病のメタボ(メタボリックシンドローム)が通達されることに。医師からは食生活の改善と軽い運動を勧められた。そして、かねてより仕事を通じて知り合った新極真会の小井泰三事務局長(師範)が道場を開くニュースが耳に届くと、気持ちが大きく空手に傾き始めた。

「何かお手伝いしますよ」と佐藤さんが伝えると、小井師範から「では、体を動かしましょう」とオープン前に行なわれる体験会に誘われ、新しい道場へ足を踏み入れた。当時の年齢は53歳。初めての空手は不安もあったが、小井師範の相手のレベルに合わせた指導法が肌に合ったのか、心地良い汗をかくこととなった。稽古後のビールの味は、これまで経験したことがないほどおいしく、心身ともに浄化されたような気分になれた。

 すぐに入門を決意。2010年6月10日の正式オープンにも参加し、第1号会員を認定された。佐藤さんの入門が広く知れ渡るようになると、弟の拓さんが兄に続き、切明畑さんも含めて多くの仲間の呼び水となった。週1~2回の稽古を続けた成果が出て、順調に昇級。「見るのとやるのは大違い」と思いつつも、空手の魅力にはまっていく。

 そして2012年2月26日、初陣となる第2回総本部交流大会への出場が決まった。

「試合の1週間前から緊張していました。大会当日も各師範をはじめ、歴代の世界チャンピオンの塚本徳臣師範、鈴木国博師範、塚越孝行師範が次々と激励に来てくれました。でも周りから、『あいつは何者だ?』という目で注目されてよけいに緊張しました(笑)」

 それでも道場仲間の熱い声援を受け見事デビュー戦で勝利。次の試合は残念ながらエネルギー切れで判定負けとなったが、貴重な体験をしたと今でも感謝しているようだ。

「攻撃をもらって下がると、相手の気持ちが強くなる。逆に攻撃して相手が下がると、こっちの気持ちが強くなる。これまで見ているだけでは分からないことが、闘ってみて初めて理解できました。試合は、下がってはダメなんですね」と冷静に分析するところは、さすがにメディアの最前線にいるだけのことはある。現在は4級の緑帯だが、最終的に目指すのは黒帯なのだろうか!?

「黒帯に挑戦するのは、山登りに例えると富士登山だと思っています。キチンと準備をしないと危険ですし、決して簡単なことではありません。私は頂上を目指すというよりも、富士山が綺麗に見える山に登り、そこから絶景を見たいのかもしれません。例えば八ヶ岳、箱根の金時山、三ツ峠山……などポイントはたくさんありますが、下界から見る富士山とはまた違って見えると思うんです」

 焦らず慌てず、ゆっくりと高みを目指す。これも佐藤さんなりの空手道なのだろう。大きな目標としては、東京ベイ港支部主催の大会が開催された時が来たら全力でバックアップすること。第1号会員は、みんなの夢を実現させるシェルパ(案内人)に徹したいようだ。「私は、周りの仲間に帯の色を抜かれてもいいんです。だって第1号会員は永久に抜かれませんから」と透き通った目で、高らかに笑った。