カラテトランスフォーマーPROFILE

「私は転勤族なんです。もう何回、引っ越しをしたのか分からないくらいです」

          

 茶帯を締める村木丈夫(むらき・たけお)さんは、そう言って苦笑した。

     

 勤務先は、野村證券株式会社。長年に渡り一流企業の営業マンをしているため、転勤することが多いようだ。過去の転勤歴をたずねると、しばらく考え込むくらいに複雑だった。

     

 一つひとつ丁寧に転勤先を説明してくれながら、「年表にしてお送りしますよ」と軽く冗談を言って笑う。後日、本当に年表を送ってきたのだから、その生真面目さに驚いた。

        

 4番目の赴任地は、福岡県だった。この時に、長男・長女の4人家族の村木家が空手と遭遇する。2002年8月、現在22歳の長男・泰大(やすひろ)さんが、幼稚園年長の時(5歳)まで遡る。ママ友たちが子どもを連れて、『スポーツクラブ ルネサンス西新』で空手の体験入門をしたことがキッカケだった。

     

「ボク、空手をやってみたい」。母親に連れられて体験入門した泰大少年は、目を輝かせてそう叫んだ。この瞬間から、村木家の空手への道が開かれた。

 ルネサンス西新は、新極真会の代表を務める緑健児師範が主宰する福岡支部の道場。長男が極真カラテを始めることを聞いた丈夫さんは、子どもの頃から抱いていた憧れが再燃する。青春時代に、極真カラテ創始者・大山倍達総裁を題材にしたマンガ『空手バカ一代』にはまり、空手への思いを募らせていた。しかし小学3年から大学生まで部活で柔道をやっていたため、いつかは空手をやってみたいという思いが頭の片隅にあった。

 社会人になってから同僚に誘われてキックボクシングを習っていたが、目標を見つけることが難しく、やはり空手への思いは拭い切れなかった。だが極真カラテはケンカ空手のイメージがあったため、敷居は高かったようだ。そんな時に子どもが先に極真カラテを始め、稽古風景を見学に行くと、それまでの怖いイメージが一新されて誰でもできそうな印象をもつこととなる。同じ壮年部の道場生もいたため、2003年5月に父親も門を叩いた。

     

 じつは丈夫さんが入門する少し前、今度は逆に泰大少年が空手に対して怖さをもつようになっていた。強い子と組手稽古をやる機会も増えていき、怖さと痛みでよく泣いていたのだ。もしかしたら父親がタイミング良く入門したのは、そうした息子の弱虫を克服してほしいという親心があったのかもしれない。

     

 それでも空手をやめずに続けた泰大少年は、初めての昇級審査会に臨み、緑師範の前で全力を出し切ってオレンジ帯の昇級を決めた。当時の様子を本人がこう説明する。

     

「小さい頃だったので記憶はあまりないんですが、ルネサンスの道場生で昇級したのは僕が初めてだったようで、緑師範からお褒めの言葉をいただいたようです。転校の時、緑師範に最後の挨拶へ行くと『がんばって』と記念カードをもらいました。それは、今でも大切に持っています」

     

 丈夫さんも昇級審査会に臨んだ際、緑師範から「お父さん、がんばって」と声を掛けてもらい、憧れの存在の前で昇級できたことに感動を覚えたそうだ。

      

 2004年7月、愛知県豊橋市へ転勤。最初は父親が単身赴任の形をとっていたが、その翌年の8月、今度は家族が引っ越してきて豊橋での新生活が始まった。空手はもちろん継続し、親子で山本健策師範が主宰する愛知山本道場へ移籍することとなる。すでに福岡支部で鍛えられてきたふたりは、愛知山本道場で稽古に戸惑うことはなかった。

 7歳から9歳まで愛知山本道場で稽古した泰大少年。「空手をスタートした福岡支部で基礎を教えていただき、愛知山本道場で組手テクニックを学ばせていただきました」と振り返る。愛知錬成大会の小学2年生の部では、優勝を経験した。

     

 2006年12月には、鳥取県米子市へ転勤となる。家族も翌年4月に引っ越し。近くに新極真会の道場がなかったために、他流派の道場へ籍を置くこととなった。

     

 そして2010年3月、父親を米子に残して家族が実家のある滋賀県に住居を移す。13歳の泰大君が新極真会に再入会すると、遠江大師範が主宰する滋賀中央支部に通うようになる。父親は兵庫県宝塚市→愛媛県宇和島市と転勤が続くが、2011年7月に息子が通う滋賀中央支部への入門を志願し、新極真会へ再入会をはたした。

     

 だが泰大君は部活動で陸上部に所属し、400m走競技に打ち込んでいたこともあり、なかなか空手をやる時間が取れなくなっていた。それでも空手をやめなかったのは、「塚本徳臣師範が、第10回世界大会で優勝した時に『選手としては引退しますが、自分は死ぬまで現役です』とスピーチしたことを聞いて、自分の中で辞めるという選択肢はなくなりました」と継続した理由を説明する。もちろん父親が続けていたことも、大きかったのだろう。

「最初は空手をやって泣いていた息子ですが、一度も辞めると言ったことはありません」と父親は述懐する。これだけ転校を繰り返していれば、どこかで気持ちが切れそうなものだが、ふたりとも空手への情熱は変わらなかった。それは、緑師範にはじまり、山本師範、遠江師範と指導者に恵まれたことも背景にあるのだろう。

 前振りが長くなったが、2015年4月に家族が東京へ移住。翌年8月に父親が上野支店へ転勤となり、ようやく現在の東京ベイ港支部へ移籍することとなった。

     

 小井師範と谷口師範代の丁寧な指導法に触れたふたりは、「丁寧なご指導はもちろんですが、いつも情熱が伝わってくる稽古です」(丈夫さん)、「質が高く、少しの動作でもすごく考えることが多くなりました」(泰大さん)と語るように、さらに空手への情熱が増している。

     

 目標は、親子揃っての黒帯取得だそうだが、「1級と初段の差は、想像以上に大きいです」とふたりとも黒帯の壁を感じ始めている。偉大な黒帯の先輩方を見て、「はたして自分もなれるのだろうか」「資格はあるのだろうか」と自問自答する日々が続いているのだろう。

 仕事の合間を見て積極的に道場へ通う丈夫さんは、今後も転勤とにらめっこをしながらの稽古となるが、黒帯への挑戦を見据えてこれからも精進していく覚悟を決めている。

     

 泰大さんは、今春から大学院生となり教員を目指している。教員になろうと思えたのは、空手との出会いが大きいと打ち明ける。後輩にアドバイスをするうちに、教えることの楽しさを学ぶことができたようだ。

     

 最後に泰大さんに憧れの存在を訊くと、「師範の方々は当然ですが、あとは父です」と即答した。

     

「父は自分が知らない世の中の仕組みや知識をいつも教えてくれるので、今でも憧れの存在です」と断言する。空手を通じて父の背中を見て、一緒に走ってきた17年間。転勤や転校に直面しても、真っ向から受け止めて順応することができたのは、もしかしたら空手が生活の中心にあったからなのかもしれない。